備忘録&雑記

女性SEの話 その2

女性SEの話 その1」の続きです。

なんとか大学院を修了し(授業とその試験以外の部分でいろいろと危なかったです……)、会社へ入社しました。私の時は、最初の3か月は新人研修でした。入社した人の大半が技術・研究職ということで、最後の1か月はプログラミングの研修でした。営業職の人は大変だったと思います。研修終了後、職場へ配属されました。職場でも簡単な新人研修(プログラミング)がありました。私は大学でちょっとC言語をやっただけ、大学院では全くプログラミングをやっていなかったので、C言語の課題をやっていました。また、課の設備管理の次の担当になることになり、引継ぎ作業もしました。ある日、いきなり、お客様の会社へ行って、弊社の開発したシステムの試験をしてきて、と言われて、同じ課の人をもう一人と、同じグループ会社の方三名の計五名で試験をしてきました。試験が終わったら、今度は展示会の説明員をしてくれと、言われました。展示会の説明員一日中やったのですが、大学院時代のゼミ発表で培ったスキルを活かして、何とかこなすことができました。当日の説明員の中での一番上の先輩から「午前中は自分からは全然話しかけられないかと思った。(けど良くできていた。)」とお褒めの言葉を頂きました。展示会の説明員のお仕事が終わったら、次は、プログラミング開発のお手伝い。そして、別のプログラムの試験のお手伝い。今度は、以前お客様の会社へ行って試験をしたところで、システム開発。これは大変でした。入社2年目でグループのサブリーダーでした。お客様のところの仕事が終わったら、会社へ戻って、またシステム開発をしたり……。大トラブル発生したり……。このお仕事の最中に、関西への異動が決まり(東京で働いていました)、思わず会社で号泣……。関東での最後の仕事は、某官公庁のシステムの試験のヘルプでした。東京での勤務は約1年半でした。

関西では、C言語をバリバリ使う、デジタルカメラの組み込みソフトウェアの開発を合計5年くらい(休職期間を含む)をしていました。開発の初期段階は残業ほぼ無しの生活ですが、納期近くなると(試験期間中)、月100時間近くの残業がありました。

復職後は、研究用のプログラムの試験をしたり(残業禁止なのにサービス残業させられました)、コンビニとかに置いてある複合型コピー機のシミュレータを作ったり、JRのシステムの仕様書を作成したりしていました。

さらに上の上司からのはからいにより、企画部門で営業事務の仕事に異動させてくれました。

取り敢えず、私のシステムエンジニアとしての仕事の話は以上です!



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